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2016年01月17日(日) 
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201601/0008727396.shtml

昨日のことのようなのに、もう21年経つのだ。あのときに生まれた赤ちゃんももう成人。いまだにあの無茶苦茶な光景を忘れられず、時々フラッシュバックする。まだ会社勤めで、宝塚の親戚の家の片付けに行き、登山用のリュックを担いで神戸に向かった。通信は、まだパソコン通信全盛の時代で、友達の安否をパソコン通信に開設された安否確認サイトに登録したら、友達のすぐ近くに住んでいる方が気が付いて、ご無事ですよとメッセージを入れてくれた。情報インフラの大切さを見に沁みて思った。。。
のど元過ぎれば・・なことが多いが、震災の記憶は忘れてはいけない。あのとき、どうだったか、どんなことが起こったのか、そしてそれをどう生かすのか。。。

閲覧数1,967 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2016/01/17 16:14
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2016/01/18 22:45
    もう21年なんですね。
    ”おばちゃん!テレビつけて!” 甥っ子からの、慌てた声。
    主人が通勤後のダダ広い居間には、私1人。
    画面に映ったわん曲した線路、”ええ---、なんてこと!!”
    この光景は今でもしっかりと脳裏に焼き付いています。終生忘れないでしょう。そして、神戸の友人を思い、涙、、、涙、、、涙。
    次項有
  • 2016/01/19 00:16
    鉛筆紫の上さん
    > だんじりさん
    当時は、リュックを背負って入った神戸で、なんともやりきれない気持ちになりました。一体何が起こったのだろう・・それからじわじわといろんなことがわかってきて、事の重大さに、もう自分のやれることをとりあえずやろう・・と思って、現地での支援活動となりました。本当に無茶苦茶でした。
    次項有
  • 2016/01/22 18:03
    レイコさん
    > 紫の上さん
    この正月に神戸から戻ってきた娘一家とあのときの地震のニュースのこと話し合ったものでした。乳飲み子だった子が21歳になり阪神淡路大震災と共に成長しています。
    次項有
  • 2016/01/27 10:00
    鉛筆紫の上さん
    > レイコさん
    あのとき生まれた子がもう21歳・・本当に早いですね。でも今でもあの時の情景が目に焼き付いています。
    両親が、先ごろ神戸に近いところに引っ越しをして、引っ越しトラックとともに、神戸の町を通ると、今はすっかり見えなくなってしまっている爪痕も、ゆっくり歩くとそこここに見つけることもできます。
    次項有
  • 2016/01/26 22:26
    G Gさん
    > 紫の上さん
    地震の有った日の夕方平塚のコンバット グリーフィフェイサーチームの四名が車にて救助にむかいました
    隊長以下軍服で 途中通行止めもなく翌朝には神戸市内に入ったのです 私は仕事で参加出来ませんでしたが
    その時の惨状を写真にされて大変な事になったと思いました 最近月一で神戸に行きますが 今では高層ビルが
    立ち並び震災の影形も有りませんが 当時の事を振り返るとその復興は並大抵な物で無かったと思います
    多くの方が亡くなられた事に御冥福をお祈り致します。
    次項有
  • 2016/01/27 10:03
    鉛筆紫の上さん
    > G Gさん
    今はすっかりきれいに整備された街並になりましたね。港の方にゆくと、あのころのまま残してあるところもあります。今でも、まるで戦場のような光景を忘れることはできません。
    コンバットチーム、神戸に行かれたのですね。どこかですれ違っていたかもしれません。(^^)
    次項有
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