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2012年01月14日(土) 

 

東京→新幹線→くりこま高原→レンタカー→登米

と登米のH@FMにおじゃまして、色々とお話を伺い、登米市の市長にもお会いすることができました。

とても気さくな市長。お話も進み、色々と背中を押されたところもありました。FMの訪問記はまた別途として。

 

次の日、コミュニティFM検討チームとともに、南三陸へ行こうと車を走らせ・・・

写真は南三陸町の防災庁舎。献花台があり、メンバーで手を合わせてきました。

 

南三陸、歌津と車で移動し、歌津で昨年の12月にオープンした伊里前福幸商店街に伺ってきました。

http://www.m-kankou.jp/topics/index.php?id=210

 

町の観光協会・商工会の店舗で色々お買いもの。

商工会の婦人部の方なのか、観光協会の方なのか・・とてもやわらかい笑顔がとても印象的でした。

たまたま店舗に来ておられた方が、同行した山武の青年が買ったお花の制作者で、思わず両者で涙ぐむ。

 

歌津の街は、小さいけどきれいな町だったのでしょう。。でも今はコンクリートの基礎が残るだけ。防潮堤が無残にもぎ取られ、役所の庁舎の時計が被災時の時間をさしていて、胸につまるものがありました。

商店街の駐車場には、桐生からのボランティアバス。桐生からのボランティアの方々ががれき撤去や土壌の整備をされていました。

南三陸はまだまだ・・ボランティアが継続的に入っておられるようです。

 

南三陸の町・・志津川病院の4階建ての建物は、建物が残るのみ・・そして写真の防災庁舎は、献花台が置かれ、荒涼となった町の真ん中にポツンとたたずむ。

登米のFMの社長は、

「当時はみんなやるべきことを一生懸命やっていた。防災庁舎に集まって、真剣にどうしようかと話し合っていたはず。過去の例ではそんなに大きな津波はきていないということで、当時は、各々が何をやるべきか、その現場現場で判断しながら対処していただけ。自然に身体が動いていただけ。。美談にする必要など何もない。ただ、あまりにも津波が大きすぎた・・・。」

 

震災当時、H@FMの番組もオンエアされており、その当時のパーソナリティは揺れがはじまってからずっと落ち着いて・・とみんなに呼びかけていました。隣の家が傾いて、FMのスタジオに倒れてきて硝子の割れる大きな音が番組の録音に残されていました。

でも、みんなやるべきことだとずっとずっと呼びかけていたし、ラジオは止めてはいけないと24時間体制で番組を動かしていたそうです。「ただ、やるべきことだから・・・」

報道の姿勢に改めて脱帽。

そのお話の重さに、思わず防災に関してもう一度考え直さねばと思う。前提はない。最大値できたときにどうするか。

マニュアルがあっても、マニュアル通りにはいかない。その現場で一人一人が、判断しながら動く。

大きな災害、そのとき、現場で臨機応変にやるべきことをきちんとできるか、これが日頃の訓練からできるのかだと、あらためて思う。「動けるか・・・」

 

車を降りてひとしきり歩くと、風の冷たさと気温の低さとともにひんやりとした空気が肌を刺します。

海の高さと陸地がほとんど同じような高さ・・海抜が低い土地でした。

動いているのは、がれき撤去などのトラックや大型のシャベル・・

ガソリンスタンドと床屋さんなどがひっそりと営業しているのみ。人の気配があまりありません。

 

荒涼としている風景と、千葉へ戻ってきたときの町の人々のさざめきとのあまりにも大きなギャップに、この10か月の月日と距離を感じてしまう。

現場は・・・まだまだだ。。。

 

次にやるべきことが色々と思い浮かべられたので、現地と交信しながらできることを提供したいと思います。。


閲覧数3,161 カテゴリ日記 コメント10 投稿日時2012/01/14 22:16
公開範囲外部公開
コメント(10)
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  • 2012/01/14 23:28
    3月11日は各地で慰霊祭などが行われますね。。。
    被害に遭われた方たちは
    またその時に引き戻されてしまいますが
    乗り越えて元気でいて欲しいことを祈ります。。。
    次項有
  • 2012/01/15 05:40
    浜砂さん
    被災地の姿は、いろいろと報道されていますが、みじかな方からのお話を聞きますと、より一層現実の悲惨さが伝わります。
    この冬、寒さになれない仮設の方々も多いそうですから大変ですね。
    大変お疲れさまでした。
    次項有
  • 2012/01/16 06:45
    お疲れ様でした。
    本当に実際現地に行って、一切合財更地にしてしまった自然の脅威を目の当たりにすると、胸がつぶれる思いですよね。まだまだ継続的な支援が必要です。仮設は寒いでしょう。また機会があったらボランティアに行こうと思っています。
    次項有
  • 2012/01/16 07:19
    東北の寒さは半端ではありません。顔は寒いと
    言うより痛いですよね。
    紫さんには頭が下がります。
    お疲れ様でした。
    次項有
  • 2012/01/16 14:05
    鉛筆紫の上さん
    > 夢見る夢子(夢は叶う)さん
    明日は1.17 神戸の震災の日です。あのときの現場がまだ目の前に浮かぶようです。
    月日が流れると、日々そのときのことを忘れていってしまいますが、忘れてはいけない。ここから学ぶものをきちんと伝えてゆかねばならない・・と思います。起こらないようにすること、それが復興につながるのではないかと思います。
    次項有
  • 2012/01/16 14:07
    鉛筆紫の上さん
    > 浜砂さん
    東北はあまりにもすごい。もしこれが九十九里にきたら・・と本気で思ってしまいました。
    東北の方々も、まさかあんな大きな津波が来るとは思っていなかったのです。でもきてしまったわけで・・。そこから学ぶものは多いと思います。行政もそうですが、住民が、そのとき何ができるか、各々考えなければなりません。東北の地で、何も無くなった地を見て再度気持ちを新たにしました。
    次項有
  • 2012/01/16 14:09
    鉛筆紫の上さん
    > まんねんおとめさん
    仮設への支援、色々と考えてゆかねばと思っています。今回、登米のFMを訪問して、ともに何かできるかもと思いました。登米は南三陸の支援をされています。南三陸からたくさんの方が登米の仮設に入っておられます。現地とつながったことで、前に進めそうな気がします。
    次項有
  • 2012/01/16 14:12
    鉛筆紫の上さん
    > マッシュさん
    日本海側は雪がすごいのですが、太平洋側は雪は少ないですが、気温が低い。歌津の町を歩いていたら、だんだんと感覚が無くなってゆく感じでした。4人で急いで車に戻り暖房をMAXに。
    仮設もかなり寒いと思います。何か支援ができないかと考えております。
    次項有
  • 2012/01/17 02:02
    さとう正さん
    復活からトップギア!?
    やっぱり、実際携わった人の言葉は、心に響きます!

    1991.6.3普賢岳火砕流1995.1.17阪神2011.3.11東日本
    その間も各地で震災が起きます。風化しない様にですよね
    次項有
  • 2012/01/17 02:16
    鉛筆紫の上さん
    > さとう正さん
    もう今日になりましたが、1.17・・阪神淡路大震災。あの当時も、私も被災地にいました。
    あれから比べて情報のネットワークは格段に進歩しました。なので残せる情報量は格段に増えたと思います。東北から教わったことを教訓に、起こさない努力、をしなければなりませんね。。。
    次項有
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